5弾・1話 目覚めしもの



 春の晴空が薄衣のような雲に覆われて、太陽もチラチラと照っている春初めの頃――。

 千葉県立保波高校の校庭では桜のつぼみが開花の準備の迎えており、冬の間は枝だけになっていた他の木々にも木の芽が吹いていた。三階建ての第一校舎と二階建ての第二校舎の隣には体育館があり、そこでは卒業式が行われていた。三年生たちはオリーブグリーンの制服に赤いバラのドライフラワーの勲章をつけ、名前を呼ばれると舞台に上がって校長先生から卒業証書を受け取って頭を下げてから席に戻っていた。

 卒業生の後ろは在校生と保護者の席で、一年生の席に座る真魚瀬留美(まなせるみ)は初めて卒業式を目にしていた。

 留美は日本の高校に入学するまでは外国の学校で飛び級していたため、卒業式を間近で目にしたこともなければ、自身の卒業式にも参加したことがなかった。

 その後校歌と卒業生に送る歌を唄い、卒業式は終わった。卒業生たちは筒の中に証書を入れて体育館を出て、唯一花を咲かせている桜の木の下で記念撮影をしたり、卒業後の針路を語り合っていた。

 在校生たちも教室に戻って帰りのHRを済ませた後、帰宅のために校舎を出ていく。留美も通学用のピンクのマドラスチェックのショルダーバッグを提げると、一人の男子に声をかけられる。男子は前髪を分けた短髪に長身に細面の顔に目鼻立ちの整ったバスケットボール部員の神奈瑞仁(かんなみずひと)だった。

「じゃあな。真魚瀬。来週な」

「うん。またね」

 神奈くんが教室を出ていったのを入れ替わりに長い髪を後ろで一くくりにして肩にかけて赤と黒のスリーウェイバッグを持った少女が姿を見せてきた。

「おおい、留美、郁子。もうすぐバスの時間だぞ」

 留美とその近くの席に座るショートボブに丸顔の少女、田所郁子(たどころいくこ)が廊下から声をかけてきた少女に返事をする。

「ああ、今行く」

 三人は昇降口を出て上履きからローファ靴に履き替えて、校舎を出て他の保波公庫の生徒たちを共にバス停でバスが来るのを待った。

「三年生が卒業した、ってことは来月からわたしたち二年生になるってことよねー」

 郁子が今日の卒業式を目にして述べて、留美ともう一人の朱堂炎寿(すどうえんじゅ)に言ってくる。

「わたしはギリシアでは小学校に入学してから間もなく飛び級で中学も高校も大学に入っていたから卒業式なんて、体験してなかったし」

 留美が郁子に言うと、炎寿もうなずく。

「だろうな。留美は終始珍しそうに見ていたし」

 その後、バスが白と青の車体のバスが走ってきて三人は乗り込んで、自分たちの家のある地域まで乗っていった。バスの中には保波の生徒も十余人乗っていて、証書の筒を持っている三年生もいた。

 バスはビル街、住宅街、と変わっていき、住宅街の中にレンガ色の七階建てマンションが見えると、留美と炎寿はここで降車して郁子と別れた。

 白やベージュなどの壁に色付きの屋根の家宅のある住宅街は閑静でベランダや庭の物干しざおには洗濯物のタオルやシーツが風でビラビラと揺れ、電線にはスズメやムクドリが泊まり、中には自動車を洗う老人もいた。

 留美と炎寿はレンガ色のマンション『ベルジュール磯貝』に着くと、エントランスホールに入り、四階にある自分たちの家に向かうために階段を昇っていき、四〇三号室の表札がある扉の前に立つ。

「ただいまー」

 二人が玄関扉に声を出すと、向こう側から「お帰りなさい」の女性の声がして、二人はドアを開けて中に入る。玄関の左が下駄箱で、すぐ上がった中がダイニングキッチンで、奥の二つの部屋のドアが留美と炎寿の自室である。玄関左手前の和室は居間で、カモメがアイロンを出してシャツやハンカチをアイロンにかけていた。

「お帰りなさいませ、ルミエーラ様、フェルネさん」

「ただいま、ブリーゼ」

 このカモメはブリーゼといい、留美と炎寿の家の家政婦でもあった。留美と炎寿も人間ではなく、妖精で今の人間姿は人間界での仮の姿であった。

 真魚瀬留美は妖精世界ミスティシアの東の海にある水妖精の国、マリーノ王国の出身の人魚であった。同じく朱堂炎寿も蛇の下半身を持つ炎蛇(えんじゃ)族と呼ばれる妖精で、人間界では留美の従姉妹として生活している。

「もうすぐお昼にしますから着替えてくださいね」

 ブリーゼに言われて、留美と炎寿はそれぞれの自室に入り、白いセーラーシャツとオリーブグリーンのブレザーとからし色のスカートの制服から、普段着に着替える。留美は三つ編みをほどいてセミロングのウェーブヘアにラベンダー色のヘンリーネックトップスと白いハイネックインナーと黒い巻きスカート。炎寿は灰色のダイダイ染めのロングスカートと赤いダウンベストに黒い薄手のニットのエスニック風。

 ブリーゼはカモメ姿から一瞬で細身で白いアンサンブル姿の中年女性に姿を変えてエプロンをつけて、野菜を刻みだしたりする。炎寿は人間姿のブリーゼを手伝い、留美は棚から食器とコップを出す。昼食の牛肉野菜炒めが出来ると、四人掛けの食卓に座って食べ始めた。

「今日は卒業式でクラブもなかったんでしたね。どうでしたか」

 ブリーゼはカモメ姿に戻って、留美と炎寿に尋ねる。

「飛び級だったわたしには珍しく思えたよ」

「でも今の日本には飛び級がないから、二年後の今頃は留美もわたしも卒業式に出ているだろう」

 二人は自分なりの今日の出来事をブリーゼに伝える。食後は炎寿が皿洗いをし、留美が台布巾で食卓を磨いた。作業が終わると、二人は出かけることをブリーゼに言った。

「行ってきまーす」

「夕方には帰ってくる」

 留美と炎寿はマンションを出て、歩いて磯貝四丁目の公園まで向かっていった。


 自動車と市内バスが走る道路と住宅街を抜けて、商店と住宅が併合する合一街の中にある磯貝四丁目の公園。ブランコや滑り台などの遊具にベンチや水飲み場やトイレがあり、つぼみをつけた桜の木なども植えられていた。学校の桜は薄紅色のソメイヨシノという品種で、公園の桜は彼岸桜でこっちの方が原始に近いという。

 遊びに来ている小学三・四年生の子や保育園児たちと保育士もいて、留美と炎寿は打ち合わせていた黒いストレートヘアに緑色の厚手パーカーにミニスカートとレギンス姿の少女と出会う。

「法代ちゃん、待った?」

 留美は桜の木の下のベンチに座っている黒髪の少女に尋ねてくる。

「あ、はい。といっても五分ほど」

「歩歌は……今日は来るのをキャンセルしたんだっけな。父親の帰りが早くなったからって、学校で歌のレッスンやるって」

 炎寿がもう一人の仲間の事情を思い出した。

 留美と炎寿と根谷法代(ねやのりよ)。そして宇多川歩歌(うたがわあゆか)はマリーノ王国から災厄を打ち払うと予言されてきた水の妖精の勇士、アクアティックファイターであった。留美と炎寿はミスティシア出身の純粋な妖精であるが、法代は祖母が海藻の妖精ウィーディッシュの血を引くクォーターで、歩歌は亡くなった母が歌妖精セイレーンの半人半精である。

 留美たちがアクアティックファイターになったのは、マリーノ王国が悪の海賊に攻め落とされて女王をはじめとする国民が捕虜にされ、留美はお供の不思議生物ブリーゼとジザイと共に人間界に亡命し、人間界で生きていくこととなり、更に留美は水の妖精の勇士としての運命を担っており、マリーノ王国を解放して海賊を倒すことを目標を持つことになった。

 といっても、マリーノ王国では学問も歌舞も家庭科以外の技術を持っていた留美は同世代の妖精たちからひがまれ、また自身も孤立していたため、人間界に来ても同じような目に遭うと思って仲間を作ろうとしなかった。

 しかし、実際はそうではなく、人間界出身の歩歌と法代、そして元海賊だった炎寿が仲間となり、四人でマリーノ王国を乗っ取った海賊たちを打ち倒し、マリーノ王国の住民は解放された。

 留美はその後、人間界で他者付き合いを学習しながら生きていくこととなり、人間界に出現した付喪神の一族、ヨミガクレの人間支配計画を阻止し、次は珍生物強奪弾マサカハサラと戦うことになった。マサカハサラと面する前日に法代はミスティシア生まれの妖精と出会ったのだが――。

「クーレーの指輪はまだ光っているから無事だけど」

 法代が右手中指にはめている青い半貴石の指輪を目にして呟く。法代の指輪はもともとはクーレーというマリーノ王国から来た妖精の男の子の物だった。指輪の石はクーレーの命を複写した物で、石の持ち主は離れている友人や家族に自分の無事を示すために渡し、石が光っているのは無事の証で曇っていると危機を知らせてくれるという。

「クーレーはマサカハサラの本拠先が見つかったら救出しよう。お父さんも確信した訳じゃないけど生きているんでしょ?」

「そうだ。焦りは禁物だ」

 留美と炎寿が法代に言った。幸い法代の父方祖母が妖精で、法代の祖母の占いによればクーレーの父はどこかの港町にいるということであった。炎寿はそれを聞いて考える。

「でも千葉県とは限らないんだろ? もしかしたら県外、関東地方外、日本国外か……」

「で、でもおばあちゃんの占いのおかげで安心したんです。二人とも生きているのなら、それでいいんです」

 法代が留美と炎寿に言うと、親子が無事なら良い可能性は高いと伝えた。

「法代ちゃんのおばあ様に感謝しなきゃね」

 留美は拳をつかんで言うと、炎寿が言ってきた。

「歩歌が今日の集合に来なかったのは、来月のデビュー曲に向けてか?」

「はい。来月の十五日にデビューシングルが発売されるので……」

 歩歌は最初は留美と炎寿と同じ保波高校に通っていたのだが、文化祭で他のクラスのアマチュアバンドの歌手の代理を務めることになり、たまたま保波高校の文化祭に来ていた音楽プロデューサーの玉城五夢(たましろいつむ)氏によってスカウトされ、十一月の半ばに保波高校から東京の東端にある芸能学校の浄美(きよみ)アートアカデミーに転校していったのだった。

「歩歌さん、デビューCDが出来たらわたしたちや郁子さんにあげると言ってました」

「いいよね。自分の夢が叶ったのって」

「それも、そうだな」

 留美が歩歌の夢達成を聞いて喜び、炎寿もうなずいた。留美も同じクラスの男子の神奈くんに片想いの結果、学年末テストの後に神奈くんから告白を受けて交際をすることになった。

(留美は神奈と両想い、歩歌は歌手に、法代はクーレーと父を会わせる……。何か、わたしだけ置いてかれているような気がするな……)

 海賊の時の罪滅ぼしでマリーノ王国に貢献し、人間界で留美と同じ高校に通い、学校行事も学年末テストも終えて、追試も補習も受けることもなかった炎寿であったが、これからどうしたらいいかと多少悩んでいた。


 それからして数日後の土曜日、炎寿は昼食の後にブリーゼからお使いを頼まれ、この日は何故かいつも行っている近所の『ピュアリーマーケット』ではなく、磯貝四丁目と五丁目の隣にある市のスーパーマーケットに来ていたのだ。『ルージュ=マルシェ』は赤い建物に青果類から酒類がそろっている店で、土曜日のこの日は魚介類の割引日だったのだ。鮮魚売り場でアジにしようかブリの切り身にしょうか迷っていると、一人の人物に声をかけられてきた。

「あれぇ、朱堂さんじゃないか。珍しい」

 その声を聞いて炎寿は顔を上げる。そこにいたのは細面の顔につり上がった目に細身の少年、岸尾徹治(きしおてつじ)であった。この日の彼は黒いパーカースウェットに白いTシャツにジーンズの姿であった。

「岸尾……も来ていたのか」

「いやー、ここぼくんちの近くなんで」

 炎寿は会計を済ませると、岸尾くんと共に店を出て岸尾くんの住むアパートまで変えることになった。


「岸尾はこのままアルバイトしながら、桜花(おうか)高校に通うのか」

 炎寿は岸尾くんの通っているのは稲川区にある通信制高校、桜花高校で彼の父が中二の時に事故死したために婦人靴工場で働く母を支えるためにアルバイトのできる通信制高校に通学していることは聞いていた。炎寿の朝のランニングで新聞配達をしている岸尾くんとは顔見知りになり、その後は炎寿の同級生からの教えで知り合った。

「うん。通信制高校は単位を取得していれば、進級卒業できるから。卒業まで今の生活を続けていくよ」

「卒業まで、ってことは大学に進学しようと考えているのか」

「奨学金とアルバイトで大学費用を賄おう、って考えている。大学卒業の方がぼくのやりたい業界に就職できそうな気がして」

「その業界、って……」

 炎寿が尋ねようとしたその時だった。いつの間にか二人の前方と後方には六頭の大型犬に囲まれているのを。犬たちは犬歯が異様に長く、赤い眼を炎寿に向けていた。この生物は犬ではない。マサカハサラの送り出す怪獣ハマヤーンだ。

「す、朱堂さん、この犬たちは一体……」

 岸尾くんがおびえながら炎寿に尋ねると、二人の前方には百九十センチ近い背丈に筋骨隆々の体、四角い顔につり上がった眼と大きめの顎、浅黒い肌に褐色の瞳、頭に長い布をまとめた帽子をかぶり、二の腕が剥き出しの黄色と黒の衣装をまとう男が現れる。「お前は……?」

「フン、今日こそ一人だけでも我が長に献上しようとしたら、関係のない者がまじっていたとはな」

 炎寿と大男の会話を聞いて、岸尾くんが首をかしげる。

「岸尾は関係ないだろ。わたしだけ狙えばいいのに」

「かもしれんな。だが……、こうすればいいだろう!!」

 そう言って男は小さな銀色の筒を口にくわえて吹き、犬型のハマヤーンが二人に襲い掛かってくる。炎寿は岸尾くんの手を引き、素早く回避した。目を丸くしている岸尾くんにこれ以上詮索されないようにと、彼の鳩尾に拳を入れて気絶させた。

「すまん。君を巻き込みたくないんでな」

 炎寿は空っぽの金属のゴミ棚に岸尾くんを隠し、胸元から小瓶型ペンダント――ライトチャームを出して祈りを込める。

「ライトチャームよ、わたしを戦士に変えて」

 するとチャームが赤く輝きだして、炎寿は赤い光に包まれると、普段のエスニック風の服装から炎寿は髪の毛が瑠璃色のハーフアップ、両腕に赤いアームカバー、赤いロングビスチェに黒いひざ下まであるスカートにはスリットが入り、足元は赤いハイヒールパンプスの姿に変わった。

「ウォン!」

 六頭の犬型ハマヤーンが炎寿に襲い掛かる。炎寿は指をはじいて火柱を出すバイパー=ヒートピラーを出し、六頭のうちを三頭に当たり、後方から三頭が来たと察すると、バイパー=ヒートエクスプロードを発動させて、ハマヤーンの足元に赤い爆ぜが発せられる。

「ギャワン!」

 炎寿は次の三頭を怯ませるものの、そしたら先ほどの三頭が起き上がって炎寿に襲い掛かってきた。

「うわっ!」

 炎寿はさっきの三頭がまた襲い掛かってくつことに察すると、スカートの裾が犬に噛みつかれて破れる。

「くくく……。凶暴な野良犬を捕まえてハマヤーン化させて犬笛を使ったら、こんなに上手くいくとはな」

 巨漢のカウィキテフが犬笛を吹きながらハマヤーンを操る。炎寿は岸尾くんのいるゴミ棚の所まで追いつめられるも、どうしたらいいか悩んでしまう。

(このままではわたしはハマヤーンにやられてしまう……。仲間を呼ぶ余裕なんてないし、岸尾。君を傷つけたくないんだ……)

「ガウッ!!」

 ハマヤーンの一番大きな個体が炎寿に飛び掛かってきた。その時であった。炎寿の源のチャームが赤く輝きだしてきて、飛び掛かってきたハマヤーンが眩しさのあまり転がる。そして炎寿のチャームは一振りの銀色の刀身に赤い柄の長剣に変化する。

「なっ、何だと!? 妖精たちの中でただ一人武器を持ってないあいつまで……?」

 カウィキテフもこの様子を目にして驚き、炎寿は右手で剣を持ち、剣に力を込めて県から緋色の炎が出て炎寿は剣を天に掲げて円状に振るう。

「バイパー=フレイムパージング!!」

 すると赤い炎の波動がハマヤーンに浴びて、ハマヤーンはみるみる凶悪そうな姿が変わっていき、六頭の大型犬に姿を変えていった。

「くそっ。まさか予想外のことが起きるなんて!」

 カウィキテフはこの様子を目にすると、逃げ出していった。

「わたしも、武器を持つことが出来た……」

 炎寿は自分の武器覚醒を目にして呟いた。


「岸尾、大丈夫か?」

 炎寿は変身を解いて普段の姿に戻り、岸尾くんに話しかける。

「あ、あれ。朱堂さん。何でぼくここに……?」

「凶暴な犬たちが出てきたから隠してあげたんだ」

 岸尾くんは何が何だかわからぬままゴミ棚から出ると、六頭の大型犬が炎寿と岸尾くんを見つめていた。

「この子たちが凶暴? 至って普通じゃないか」

「あ、あれはだな……」

 炎寿は戸惑うも岸尾くんが助かったことに胸をなでおろしていた。

 念願の武器覚醒もかなって、ひとまずはめでたしめでたしであった。