5弾・8話 予期せぬ対面


 千葉県にある最北東の地域、銚子の港町――。漁船や遊覧船がいくつも港町の桟橋に停泊させられ、青い春の空にはカモメやアジサシなどの海鳥たちが舞い、倉庫がいくつも建てられたその町には市立保波第二中学校の一年生が遠足に訪れていた。

 保波第二中学校の生徒は男子は灰色の学ランとスラックス、女子は灰色のボレロジャケットとジャンパースカートと赤い蝶ネクタイ付きの白いシャツの制服。根谷法代も保波第二中学校の一年六組に入学し、同級生たちと共に銚子にやって来たのだった。

 法代は学校に通っている時は二の腕まである長い黒髪を頭頂部の後ろでツインテールにしてまとめていた。港町に来た学校生たちは船や町の建物を写真撮影したり、漁師が獲った魚の種類を調べたりとしていた。昼食は砂浜でビニールシートを敷いて同じ班の者同士や友人同士で食べていた。法代も小学校時代からの友人、ポニーテールに長身の本多澄子と丸顔にショートヘアの元木織音と一緒に母が作ってくれたおにぎりと卵焼きを食べた。友達が引っ越ししたり国私立中学校を受験してそこの中学生になることはなかったけれど、法代にとってはこの四ヶ月間は平穏と非日常の行き来であった。

 祖母以外の家族と学校の友達や先生、近所の人や親せきには知られてはいけない法代の秘密。それは法代がミスティシアに伝わる水妖精の英雄で、ミスティシアにあるマリーノ王国を奪った海賊と戦い、人間界を支配せんとしていた付喪神の一団と戦い、そしてこの世の珍しい動植物や鉱物を強奪してはコレクションしているマサカハサラと戦っているのだから。今から四ヶ月前に法代は保波市の野辺川で父親が人間界で行方不明になっているミスティシアの妖精ローンの少年、クーレーと出会うも、そのクーレーはマサカハサラのコレクションにされてしまい、クーレーは連れ去られる前に自分の指輪を法代たちに渡したのだった。

 その指輪は持ち主の命を模写し、指輪の石が光っている時は持ち主の無事を現し、濁っている時は持ち主の危険を現す指輪であった。法代はクーレーの指輪を所持することになり、クーレーの安否を常に確かめていた。ただ学校にいたり今日のような学校行事のある日は制服の胸ポケットに指輪をしのばせていた。この四ヶ月間は指輪は光っていたものの、クーレーの居場所はわからずじまいであった。

 それから午後二時になるとバスに集合して帰ることになった。法代も友達と一緒にバスへ向かう途中、町の道路で一人の男の人とすれ違った時、制服の胸ポケットに入れていたクーレーの指輪が熱く発したのだった。その男の人はフラフラと商店街の方へ行ってしまったが、法代はその男の人が普通でないと気づくと、澄子と織音に向かって言った。

「二人とも先に行ってて! わたしやり残したことあったから!」

 澄子と織音は典代の突然のことに「ハァ?」となるも、法代は二人を残して商店街の方へ駆け出していった。

「ちょっと法代?」

「もうすぐ集合の時間なのに……」

 二人が止める間もなく、法代はよろけそうになるも体制を直して男の人の後を追いかけて行った。


 港町の商店街はシャッターでしまっている店もあれば、閉店している店もある。その多くは薬局は文具店といった生活用品を扱う店であった。法代が目につけた男の人は自販機の一つから缶コーヒーを買って取り出そうとしたところ、法代が声をかけてきた。

「あっ、あの」

 男の人は典代に声をかけられて振り向くと法代を目にする。

「何か用かい?」

 法代は男の人をまじまじと見つめてみる。ぼさぼさの褐色の髪、黒い眼は光の加減によって藍色にも見え、高めの背に標準な体格、古着なのかくたびれたようなネルシャツとジーンズの姿。法代は制服のポケットからクーレーが持っていた銀の環に青い半透明の宝石が付いた指輪を見せてみた。指輪の石は蛍のように点滅していた。

「お、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはおれの息子が誰なのか、知っているか……?」

「はい。あなたの息子は……」

 法代が男の人に教えようとしたその時だった。

「根谷! どこにいるんだ! 戻ってきなさい!」

 担任の先生たちが集合時間になっても姿を見せない法代を探しに来たのだった。法代は指輪をしまうと男の人に言った。

「ご、ごめんなさい。だけど、あなたをクーレーと会わせてあげるから……!」

 法代は男の人に別れを告げると、商店街の入り口の方へ踵を返して走っていったのだった。法代が去った後、男の人はクーレーの名前を聞いて呟いたのだった。

「クーレー……。おれの息子がこの世界にいる、だと……?」


 法代はあの後、先生たちから叱られるも全員揃っていたので、バスに乗って保波市に帰れることが出来たのだった。他の生徒がバスの中で大方寝ている中、法代は港町で出会った男の人がクーレーの父親だったと確信できたことに一息ついていた。

(銚子の町にクーレーのお父さんがいた。後はマサカハサラの本拠点にいるクーレーを助け出すことが出来れば、会わせられる……!)

 四ヶ月もかかってしまったけれど、ようやく自分の人生のハードルの一つに近づいたと法代はこの希望を抱いたのだった。


 銚子の町中にある中古アパート『凍砂荘(いさごそう)』。木造二階建ての八つある部屋の二階の一番奥の部屋が法代が遠足で出会った男の人、霜月秋水の住まいだった。アパートの中はトイレと風呂場と三畳の台所、居間兼寝室は六畳間で中古のテレビや机やちゃぶ台や本棚、戸棚の上はベッドになっており、秋水の私物も少なかった。

 秋水は数年前、ずぶ濡れで銚子の町に姿を見せ、今の漁師仲間の人たちに発見されるも記憶を失っており、どこの誰なのかもわからず町の漁師たちが世話をしてあげ、漁師の仕事も与えてもらい、生活費を稼ぐことが出来た。また霜月秋水の名も漁師たちの長である沖田老人が与えた名前で、十一月すなわち旧暦の霜月に見つかったことで、季語の入った秋水と名付けられたものであった。戸籍も今の年齢は四十三歳ということになっているが、町の人たちから見た秋水の見た目をイメージして四十代ということになっているが、実際の処は不明。

 秋水は棚入れから閉まっている物を引っ張り出して、一番奥に入れてあった小さな木箱を取り出した。小箱は縦三十センチ横五十センチの黄金比で、中には防腐剤と一緒に一枚のアザラシの毛皮が入っていた。その毛皮は灰色と茶色が混じったような色をしていた。

「あの女の子に話しかけられて指輪を見せられた時、おれの中になかった、いや忘れていた記憶が蘇ってきて、おれには妻も子もいて、出身も思い出した。おれはマリーノ王国のローン族、グラシアン。息子の名前はクーレーだ」

それから秋水はだんだんと妖精として妖精としての記憶を取り戻していき、人間界のことをよく知らない息子のために人間界の貝やサンゴや植物を集めて息子に見せようとマリーノ王国に帰ろうとした矢先に海の嵐が起きて、あまりにも激しかったために意識を失って気が付いたら銚子の町にたどり着いたことを。

「あの子はクーレーのことを言っていたな。クーレーが人間界にいるのなら、時間を見てあの子に訊いてみよう」

 グラシアンは自分が何者かわかると、法代に会いに行って息子の行方を尋ねることにしたのだった。


 法代も祖母の毬藻やアクアティックファイター仲間にクーレーの父らしき人物の発見を報告したのだった。

『えっ、クーレーのお父さんらしき人が遠足先で見つかった……?」

 貝型通信機、シュピーシェルを通じて留美と炎寿が法代の話を聞いて耳を疑った。

「はい……。中学校の遠足の銚子で、帰りのバスに向かおうとした処、クーレーの指輪が熱く反応して……。だけど、クーレーのお父さんらしき人は記憶喪失みたいで」

 真魚瀬家にいる留美と炎寿がその話を聞くと、クーレーの父らしき人物の発見はともかく、クーレーは現在マサカハサラに囚われていることをどうしようか考えた。

「クーレーの父親の件については、わたしたち四人の手が空いている時に尋ねにいって、それからクーレーを助けることに専念しないか」

 炎寿がその案を出してくると、留美が口を挟んできた。

「でもマサカハサラの本拠先が見つからないんじゃ……」

「でもマサカハサラの本拠先が見つからないんじゃ……」

「そこでだ。次にマサカハサラのハマヤーンか幹部がわたしたちの前に現れたら、一旦取り逃がして奴らの後をつけられるようにすればいいさ」

 それを聞いて法代は首をかしげる。炎寿の立案を聞いて留美は何となくわかったように言った。

「ああ、そうか。そういうことか……」


 日本本土から上空一万メートルにあるく宇宙飛行要塞。そこがマサカハサラの本拠先であった。中枢にある長(カリフ)の間では、一段高い場所に長である青年があぐらをかいて鎮座し、その一段下では幹部のカウィキテフ、アサダハヤド、アーキルラースがかしこまっている。

「妖精たちを捕らえようとしても、そのデータを駆使させたハマヤーンを送り込んでも妖精たちはすんなりとハマヤーンを倒してしまうか……」

 長が留美たちミスティシアの妖精に目をつけてから、ハマヤーンを送り出して捕らえようとしてもその計画は度々失敗を繰り返してきた。幹部たちも長の態度を伺って弁解した。

「申し訳ございません。妖精たちの団結力については侮っていました……」

 巨漢のカウィキテフが頭(こうべ)を下げて述べる。

「いや、もうどうせなら我々がハマヤーンを送り込んでくるのは同じ手になるから止めにしよう」

 カウィキテフのべ回を聞いた長は処罰を与えるどころか別の案を出してきた。それを聞いて老人科学者のアサダハヤドと女の生物学者のアーキルラースも不思議がる。

「と、いいますと……?」

 長はすっくと立ちあがってから部下たちに告げてくる。

「我々の方から妖精たちを捕らえるのだ。そっちの方が手っ取り早い」

 長の出してきた意見を聞いてアーキルラースが尋ねてくる。

「こっちから妖精のいる所に向かおうというのですか? 奴らは強くなっています。無謀だと思うのですが……」

「心配ない。我々にはすでに体のいい人質がおる」

 長がそれを言うとカウィキテフたちは思い出した。今は長のコレクションの一つになっている妖精がいたのを。


 遠足から五日後の四月のある日、霜月秋水は漁師仲間に「調べたいことがあるので三日間休みを取らせてほしい」と頼み、秋水は遠足に来た学校の生徒の制服と住所をバス会社の人たちに尋ね、更に制服からして保波第二中学校の生徒だったことを知ると、各駅停車と快速電車を乗り継いで、一時間半かけて保波市にやって来たのだった。

 この時の秋水の服装は学校という場所に訪問するために、髪の毛をヘアワックスで固めてオールバックにし、紺色のピンストライプのスーツにサックスブルーのボタンダウンシャツに赤いネクタイ、足元も茶色の合皮革のロカビリー靴を履いて、手には財布や後で着替える時の服が入った大きめの黒のスクエアラウンドバッグ。

(この三年間は銚子の町とその周辺しか出歩かなかったから、保波市のような都市に来るのはめったにない……)

 秋水は銚子の町と比べて、大小のビルや道路や信号機、老若男女の人々が行きかう保波市を目にして思った。

 駅前の交番で保波第二中学校の行き方を教えてもらい、秋水は磯貝地区を走るバスに乗るためにバス停へ向かい、やがて白地に青いラインのバスが走ってくると、それに乗り込んでいった。バスの座席はすでに満席で、秋水と後の三人はバスの柱につかまって立っていた。

「う……ん……」

 秋水は滅多に乗らないバスの揺れに酔いを感じた。漁師になり、毎日漁船に乗っている時はそんなに酔わなかったのに対し、地上の乗り物の酔いには耐性がなかったのだ。電車は大型だったから揺れもそうではなかったのだが。窓の景色はビル街から住宅街へと変わっていき、バスの電光表示が『磯貝四丁目』になると、急いでバスのブザーを押そうとした処、他の人が押したのを見てかすかなくやしさを感じた。

 秋水はブザーを押した中年女性と共に目的地である磯貝四丁目に降車すると、二車線道路と屋根の形も壁の色も家の構造も異なる住宅街に足を踏み入れた。駅の交番の人からもらった手書きの地図を頼りに保波第二中学校へ向かっていった。

 バス停を降りて十三分歩いた先にコンクリートの校舎に体育館と校庭のある保波第二中学校に着いた。保波第二中学校の生徒は自分のクラブでない今日ではない生徒は灰色の制服を着て帰宅し、運動部の生徒は校庭でサッカーの練習をしていたり、ソフトボールの練習試合をしていたり、校舎の方も科学部が理科室で実験していたり、囲碁将棋部が駒を打っていたりと様々だった。

(あっ、そうだ。そういや保護者でもない大人が学校の周りをうろついていたら不審者扱いされるんだったな。ええと、そうだ。あの子は確か根谷っていってたな。ずるいかもしれないが、あの手を使うか)

 秋水は正門から裏門に移動し、裏門の門扉の近くのインターホンを押して用件えお伝えてきた。

『どちら様ですか?』

 この学校の女性用務員の声がスピーカーから聞こえてきて、秋水は答えてくる。

「わたしは……、ここの中学校の生徒である根谷って子の伯父です。両親に用事が出来てしまったので、わたしが代わりに来たんです……」

 秋水はしらじらしい嘘を企てて用務員に伝えてきた。しかし女性用務員も本当に根谷法代の伯父だったら追い返したら失礼だと思って、中に入れることにした。そして校内放送で法代を呼び出した。

 法代はこの日はクラブで茶道部の活動に参加していた。茶道部は校内に設けられた和室で活動し、顧問の先生がたてたお茶を一人ずつ飲んで、その上日によって出てくる和菓子も味わえたのだった。茶道部は法代も含めて十人だが、六畳の和室は週一回で人数の少ない茶道部と華道部の活動場所だった。法代はそんなにお金も出さず体力も使わない茶道部を選んだのだった。正座はそんなにしないので、脚がしびれるのには仕方がなかったけど。

 ピンポンパンポーン、と校内放送が入り、アナウンスが流れた。

『生徒の呼び出しを放送いたします。一年六組の根谷法代さん。保護者の方がお呼びです。一階の会議室までお越しください。繰り返します……』

 法代は呼び出しの放送を聞いて父か母か祖母が来ているのかと疑問に思うも、同じクラブの織音も法代に声をかけてくる。

「早くいった方がいいよ。本当に大事な用件なのかもしれないし……」

 法代は茶道部の顧問の先生と先輩たちに体質を告げ、廊下を走らないように大股でかつかつと会議室まで向かっていった。時々よろけそうになりながらも。


 会議室は職員室の隣にあり、窓には暗幕、長机が長方形状に置かれ、後ろにはパイプ椅子が何十脚も置かれ、前方にはスクリーンとホワイトボードが設置されていた。

「失礼します」

 法代は引き戸を開けると会議室の中に入る。会議室の席の一つに銚子の町で出会った男の人がいたのだ。

「あなたは……!」

 法代は男の人を目にして口に出した。

「君がわたしの息子の行方を知っていると聞いて、この町に来て君の学校に訪れることが出来た。教えておくれ。わたしの息子が今どこで何をしているかを」

 秋水は法代に尋ねてきた。