6弾・9話 岸尾徹治の秘密


『そうか、法代も進化出来たのか……』

 法代が〈禍を起こす者〉の使いである、自分の悪の分身と戦ったことで強化態を得られたことを法代から聞いて炎寿は返事をした。

 法代と炎寿はシュピーシェルで通信しており、炎寿の脇には留美が立っていた。

『法代ちゃんの〈禍を起こす者〉の使いの仕業だったのにはホッとしたけど、このままにしておいたら友達やお母さんに誤解されていただろうね』

 留美が法代の進化覚醒がなかったら、法代はさぞ困っていただろうと述べてくる。

「はい。あとは炎寿さんだけですけど……。炎寿さんも気をつけた方がいいですよ。〈禍を起こす者〉の部下って、いつどこで出るかわからないから……」

『ああ、用心しておくよ。もう遅いからお休みな』

「はい。お休みなさい」

 きりのいいところで炎寿との通信を終えて、法代はシュピーシェルをたたんだ。


「炎寿、法代ちゃんの言う通り、気をつけた方がいいよ。〈禍を起こす者〉の使いに……」

 そう言って留美は炎寿に告げた。

「ああ、だけどわたしは……」

 炎寿は口ごもった。自分には留美のように恋仲の男子がいないし、歩歌のように古参の友人もいないし、法代と同じように自分自身を大切にしている……。炎寿の狙われる対象が思いつかないのだ。

「そん時はそん時じゃないの? 明日も学校だし。お休み」

 留美は炎寿の部屋を出て、隣の自室に入っていった。

「わたしの身辺に起こる禍……」

〈進化の装具(エボリュシオン・ガジェット)〉を手に入れたとはいえ、油断は出来ないと炎寿は感じていた。

 季節は初夏に入り気温が上がって汗ばむ陽気が多くなる。町中を歩く人々は薄手の長袖や半袖を着ている人を見かけられ、保波高校でも女子生徒は長袖の白いシャツに夏用のオリーブグリーンの金ボタン付きベストを着ており女子生徒も多かった。

 保波高校では春学期の中間試験が終わり、炎寿も試験明けのクラブ活動を再開させた。体操部での活動を終えた炎寿は早く帰った留美に対して一時間遅れで帰宅していた。帰りの夕方のバスは多くの人が乗車するため炎寿は帰りの遅い日は立っていることが多かった。

(あ、そうだ。新しいマーカーとシャーペン芯を買っておかないとな)

 炎寿はJR保波駅で降車して、そこの駅ビルの本屋の文具売り場で勉強用のマーカーペンとシャーペンの芯を買って歩いて今の住まいである『ベルジュール磯貝』へ帰ることにしたのだった。

 クラブのある日はすっかり日が暮れて朱色と紫色に染まり星と月が出ている。夕方五時以降は他の市町の学校や勤務先から帰ってきた学校生や勤め人で多くなる。駅前のビル街を抜けて住宅街に入り、マンションへ向かう途中、炎寿は磯貝四丁目と五丁目の間の土手で、一人の少年が複数の不良少年たちに絡まれている所を発見する。

「ん? あれは……」

 絡まれている少年がか細い体に内反りのストレートヘアに軽くつり上がった目、灰色のTシャツにヨレヨレのジーンズに履き続けてぶかぶかの黒いスポーツシューズの姿で、父を亡くして母と二人でアパート『シェアハウス宿刈(やどかり)』に住んでいる少年、岸尾徹治だった。

「カネを持ってこなかっただとぉ? 新聞配達で稼いでいるから、五千円ぐらいいいだろ!」

「ぼ、ぼくが新聞配達をしているのは学費を稼いでいるからで……。それに新聞社から現金を盗んだことがバレて、クビになりたくないし……」

「つべこべ言いやがって?」

 不良少年の一人が徹治を土手の川に突き飛ばして、徹治が川に落ちたのを目撃した炎寿は不良少年たちに向かって叫んだ。

「おい、お前ら何てことを!」

 炎寿に徹治を突き飛ばしたのを目撃された不良少年たちは、これはまずいと察して逃げていった。

「チクられる前にずらかるぞ?」

 不良少年たちが逃げていったのを目にして、炎寿は肩をすくめる。

「他の奴らに悪事がバレると気づかれて逃げるのだけは立派だな……。そうだ、岸尾?」

 炎寿は徹治が突き飛ばされた川を目にする。海とつながる野辺川と違い、幅は狭いが試験期間中の雨で増水して川の流れもいつもより激しかった。普通の人間では幼児児童老人でなくても、溺れるのは確かだ。

 炎寿は制服が濡れる覚悟で川に入ろうとしたが、夕闇で暗くなっている川から岸尾徹治川の流れに逆らって這い出たのだった。岸尾くんは全身ずぶ濡れていたが無事だった。

(岸尾、まるで水妖精のような動きだったな……。普通の人間じゃできっこない……)

 岸尾くんの様子を見て炎寿がぼうっとなっている中、岸尾くんが川に落ちて体調を崩したりしたら、と炎寿は岸尾くんに駆け寄ったのだった。


 磯貝五丁目と四丁目の間にある住宅街の一角にある薄茶色のひび割れとしみの入った中古アパート『シェアハウス宿刈』。炎寿は不良少年たちにカツアゲされそうになって川に落とされた岸尾くんを送り届けたのだった。

「まぁ、徹治を送ってくださってありがとう……」

 岸尾くんと違ってふくよかな体型に天然パーマのセミショートヘアの岸尾くんの母親が炎寿に礼を言った。岸尾くんは奥にある自室で着替えて横になって寝ていた。

「では、わたしは帰りが遅くなったのもあるのでお暇(いとま)します」

 炎寿は岸尾母に告げると、とっぷりと暗くなった町中を駆けて『ベルジュール磯貝』へと帰っていった。

 帰宅時は六時を過ぎており、ブリーゼとジザイが帰ってこない炎寿を機にかけているところで炎寿が帰ってきたのだった。

「遅くなってすみません。実はそのう……」

 炎寿は留美とブリーゼとジザイにクラブの日とはいえ、いつもより遅れた理由を語った。

「そうか。岸尾くんが不良たちに絡まれていて……。そこはホッとした。炎寿にも〈禍を起こす者〉に襲われたかと思っていた」

 留美は自分の右手首のリングブレスの紫色を触って答える。留美たち四人の水妖精の勇士が所持している〈進化の装具〉は、いずれ出現する大いなる敵と戦うためのアイテムで、四人の想い出の場所に隠れていた。そして他の者が危ない目に遭っていると、装具が反応を起こすという。

「ところでジザイ。気になることがあったんだ。その……、岸尾のことで」

 炎寿はジザイに岸尾が川に落とされた時、前の大雨による増水で流れが激しくなっていたにも関わらず、流れに逆らって泳いでいたことを話した。

「ふーむ。それは彼がミスティシアの水妖精の血を引いているかもしれませんぞ」

「ええっ?」

 これには留美も炎寿も声をそろえる。

「てことは、岸尾くんは歩歌ちゃんのようなハーフか法代ちゃんのようなクォーターってこと?」

「そういうことらしいですな。これは調べてみる必要がありそうですぞ」

 留美の問いにジザイが返事をする。


 その数日後の土曜日、ジザイは白髪交じりに恰幅のいい中年男性の姿になって、炎寿と共に『シェアハウス宿刈』を訪問する。

 ピンポーンと呼び鈴を押すと、勤め先の婦人靴工場が休みだった徹治の母親が出てくる。

「はい、どなた……って、あなたは!」

 岸尾母は炎寿を見て声を出す。それから人間姿のジザイがあいさつをする。

「初めまして、岸尾くんのお母さん。わたしは炎寿の伯父である真魚瀬濱吉(まなせはまきち)と申します。息子さんの様子を伺ってもよろしいでしょうか?」

「はぁ。伯父ということは、彼女の親御さんは転勤しているんですか?」

「はい。現在はギリシャにいて、炎寿が日本の高校で教育を受けているので」

 あながち間違ってはいないが、異世界の者は必ずこう答えるのだ。

「あいにくですが息子は早朝の新聞配達の後で眠っているんです。お宅の姪御さんが息子を助けてくださったのには感謝していますが、お礼を用意していないので……」

 岸尾母が詫びてきた時、濱吉はこう要求してきた。

「いや、お礼なら今は亡きご主人の情報をいくつか教えて下されば……。別にやましいことではないので」

「お、おい」

 炎寿が濱吉にあつかましいと口を出すが、岸尾母は目をぱちくりさせた後、愛想のよい笑みを浮かべてきて濱吉の要求に応える。

「そんなのでよろしいんですの? ではお上がってもどうぞ。むさ苦しい所ですが……」

「お邪魔します」

 濱吉と炎寿は岸尾親子が使っているアパートの一室に足を踏み入れる。

『シェアハウス宿刈』は玄関と二畳の台所とトイレと風呂場、その奥が洋間と和室で、和室は母親の寝室兼居間、洋間は和室より一畳小さめで徹治の部屋であった。母親の居間兼寝室のちゃぶ台に炎寿と濱吉が座り、その反対側に岸尾母が座る。岸尾母が三人分の麦茶のグラスを出し、和室の出入り口近くには仏壇があって、徹治に似た男性の遺影が置かれていた。

「主人は……、露和(つゆかず)さんは二十年前にお会いしました。わたしは元々蘇我の生まれで、千葉みなとの小さな会社で働いていた時に知り合いました。

 露和さんと会った時は彼は海洋救助隊に所属しており、海水浴のシーズンでは海難事故死者をゼロにした程の実力者です。露和さんはいい人でしたが身寄りのない人でした……」

 徹治の亡き父・露和の話を聞いて露和には身寄りがなく海にまつわる仕事に就いていたと知って、炎寿と濱吉は露和もミスティシアの水妖精なのではと耳を傾ける。

「それからしてわたしと夫は結婚して、露和さんは婿に入る形で千葉の西の港町から保波市に移住しました。露和さんは海洋救助隊を退職して保波市周辺の会社員として働くようになりました。

 息子の徹治も生まれて、三人で暮らしていましたが徹治が中二の秋に夫はトラックに轢かれそうになった保育園児を助けたものの、トラックに轢かれて亡くなりました……」

 その後、徹治と母親は以前住んでいた『ベルジュール磯貝』から『シェアハウス宿刈』に引っ越しし、母親は婦人靴工場に勤めて徹治も有名私立高校に通える程の成績にもかかわらず、母親を助けるために通信制の桜花(おうか)高校に進学して、新聞配達で学費の安い大学に通うための費用を稼ぐようになったという。

「あと夫は泳ぎが得意だったのもあって、海洋救助隊に就いていたのだと思います。ああ、それから主人の体には首の後ろや手首やひざ裏に鱗のようなあざがありました。てっきり皮膚病かと思ってましたが、生まれつきだと言ってました」

 岸尾父の体の特徴を聞いて、濱吉も炎寿もその身体的特徴を持つ水妖精がいたことを思い出そうとする。

「人間と同じ姿になっても、水妖精の外見の特徴が残る水妖精……。はっ、まさか!」

 濱吉は徹治の亡き父がミスティシアの水妖精の一種族に当てはまると気づき、立ち上がって炎寿と岸尾母に言った。

「すみませんが用事を思い出しました。炎寿、わたしはここを出るけど、この後どうするかは自分で判断しなさい。それでは」

 そう言って濱吉は岸尾家を後にして、町中と違って人気(ひとけ)の少ない野辺川の土手へ行って水の中に入って海へ向かい、ウミガメの姿になって舟立(ふなだて)海岸の沖にあるミスティシアへの門へと向かっていったのだった。


 濱吉が去った後、二部屋ある方の洋間の扉が開いて岸尾徹治が和室に姿を見せた。

「あー……、よく寝た。母さん、昼食……って、わっ!」

 ダボシャツにスウェットパンツ姿の徹治が早朝の新聞配達の後の仮眠から覚めて自室から出ると、炎寿がいたことに眠気が吹き飛んだ。

「なな、何で朱堂さんがここに?」

「何でって、朱堂さんはこの前徹治を助けて川に落ちたから様子を見に来てくれたのよ」

「おお、お邪魔してます……」

 炎寿も徹治にあいさつをし、徹治は女の子の前で寝間着姿は恥ずかしいと思ったのか、自室に戻って普段用の半袖シャツとカーゴパンツに着替える。

「あの、やっぱりわたしもう、帰ります。息子さんが元気ならそれで。失礼します」

 炎寿は岸尾親子に向かって告げると、急いでアパートを飛び出していった。


「岸尾徹治が水妖精? そんな、てっきり普通の人間だと思ってきていた……」

 炎寿は孤児で純血、徹治は母子家庭で混血。どことなく違うけれどお互いに通じる感情が無意識に生まれてしまっていたのかもしれない。

 徹治が追いかけてくるのでは、と炎寿は時々振り向いて様子を確かめ、家々が並ぶ一車線道路には時々自動車が走ってくるだけど、人が走ってくるところは見られなかった。

(もしかしたら、早朝のランニングと新聞配達で顔を合わせていくうちに、好意が生まれたのかもしれない)

 炎寿はいつの間にか野辺川の瑠璃大橋(るりおおはし)の土手に来ていた。ミスティシアは人間界より時間の流れが早いため、ジザイはミスティシア内のマリーノ王国で徹治と父親の種族を調べたら人間界の時間ですぐ戻ってくると思って、野辺川に来ていたのだ。

 五月の末は日差しが強く、空も明るめの青で太陽は真上で照っており、土手は萌黄色の芝生やシロツメクサにハルジオンなどの野草が生えていた。水は深いため紺に見えて、そこに棲息するカエルやザリガニ、タガメやゲンゴロウがうっすらと見える。

 炎寿が野辺川に来てから十分後、橋の下の水にいくつものの気泡が出てきて炎寿はジザイがミスティシアから戻ってきたと察する。ジザイが水面から顔を出すと、ジザイが苦しそうな顔をしていた。

「ジ、ジザイ殿?」

 炎寿は浮かび上がってきたジザイを見て、目を疑った。ジザイの背の甲羅やひれ状の手足には霜を振ったように白くなっていたのだ。

「だ、大丈夫か?」

 炎寿は着衣で水の中に入り、ジザイを引き上げようとすると、ジザイの体は凍えたように冷たくなっていたのだ。

(今の季節ではこんな症状になるのは変だ。だからといって、うっかり冷凍倉庫に入った訳でもない……)

 炎寿はふと気づいた。ミスティシアに行っていたジザイが戻ってきた時に冷えていたのは事故や病ではなく、これから現れる〈禍を起こす者〉の配下が携わっているのを。