2弾・12話 マッテオ=ウォーレス


 エルザミーナの世界、レザーリンド王国内の北中部にある副都市オスカード。オスカード市は黄色や茶色や灰色や黒の石ブロックを敷き詰めて道にしたり、建物の素材として使われていた。

 建物は三階建てから七階建てが多く、細長い建物が隣り合って並んでいた。他にも雷のマナブロックでともされる黒い支柱にホタルブクロ型のランプの鉄灯、炎のマナブロックで動く炎動車、道の線路に沿って走る路面列車、運河には水のマナブロックで動く船が浮かんでいた。

 オスカードに住む人間は身なりのいい服を着て、子供たちは学校や幼稚園、若者や中堅は工場や商店や会社で働いていた。

 その三階〜四階建てのビルが並ぶ町の一角に、レザーリンド王国やその周辺国で使われる文字、ヴェステ文字で『ウォーレスインテリア株式会社』と表記された建物があった。

 そこの経営者はマッテオ=ウォーレスという老人で、若い頃に起業した老舗の家具の製造販売会社である。マッテオの娘夫婦もここに勤めており、娘のポーシアは副社長、娘婿のジェリオは工場長に就いている。

 背もたれ付きの椅子に引き出しがたくさんついた横長の机、机上には書類や計算機にインテリア設計のファイル、机の後ろは窓で薄い板状のブラインドの隙間から陽の光が入ってきていて、床や壁や机を線状に照らしていた。

『ウォーレスインテリア』の今の様子は中堅の男性社員が客からの注文を承り、女性社員はタイプライターで企画書などの清書、デザイナー社員はトレース版や三角定規を使ってインテリアの設計、若い男性社員が炎のマナピースで温める片隅のコンロ台でお茶を沸かしていた。

 事務室はそこの所属の社員の人数分の机と本棚、出入り口の近くは給湯所でコンロの他に水属性で冷やしを司るマナピースの冷蔵庫、熱のマナピースで動くオーブン、菓子やお茶を入れる小棚もあった。

 現社長であるマッテオは七十一歳。社長の仕事は主に社員に指示を出すことや新商品の企画会議に出ることと多々だが、流石に老体になると社長職がきつくなる。

 三十代に開業し、妻と娘が支えてくれたおかげで『ウォーレスインテリア』は名高いインテリア企業となった。尤も妻のルクレツィアは三年前に先立たれたが。

 夕入り時になると退社時間になって社員たちは「お疲れ様」とあいさつして路面列車や大型炎動車――現実世界のバスにあたる――に乗って自宅のある町へ帰っていく。

 マッテオ社長が最後に会社を出てしっかりと戸締りをしてから、空が朱色になって西日が杏子色に輝く光の中、建物や鉄灯が伸びる影になって町にはマッテオ社長と同様に勤めを終えた人やオスカードに帰ってきた勤め人の群れ、学校から帰ろうとする少年少女や若者がいた。

 マッテオ社長は会社を出て歩いて五分先の町の広場で金属枠と木材のベンチに座り迎えが来るのを待った。町広場には白や茶色や黄色、稀に青い石畳がモザイク絵のように敷き詰められ、噴水には水を飲みに来た鳩やムクドリ、季節に合わせて植え替えられる花壇もあって夏も近いこの時期はシズクバナが植えられていた。シズクバナは球根植物で雫に似た房状の花をいくつも咲かせ、白やピンクや水色や黄色の花弁で別名〈アメシラセ〉とも呼ばれていて葉は細長く、花言葉は色によって異なるが、水色なら「沈着」。

 町広場の周囲は一階がカフェやスイーツ店などの飲食店になっている建物が多く、閉店する店もあれば夜に開く店もある。鳥の鳴き声、人の声、炎動車の音といったいくつもの音が重なり合う。

 マッテオ社長が町広場のベンチにたたずんでから数分後に丸みを帯びた黄色いボンネットに藍色の車体の炎動車が現れた。

「お義父さん、お迎えに来ました」

 運転席の窓から娘婿のジェリオが顔を出す。角ばった目つきのマッテオと違ってジェリオは垂れ目で体格も良かった。マッテオは後部座席に乗って、ジェリオがハンドルを動かして会社のある場所から離れた住宅街へと向かっていった。

 住宅街の一般の邸宅は二階建てで車庫と庭付きが主で、ウォーレス邸は他の邸宅よりも大きかった。藍色の方長型の屋根にサンドイエローのブロック壁で、二階建てで玄関の上にバルコニーのある家で庭も広く芝生と噴水と花壇があった。

「お帰りなさいませ、ご主人様、だんな様」

 家政婦のベルンが玄関でお迎えしてジェリオとマッテオに頭を下げる。ベルンから見てご主人様がマッテオである。すでに娘のポーシアも孫娘のウルスラとパシフィシェルも帰ってきていた。

「お帰りなさい、おじいちゃん」

「じいちゃん、お帰りー」

 ウルスラとパシフィシェルは三歳違いで藍色の髪は同じだがウルスラは娘夫婦と同じ垂れ目がちで、パシフィシェルはマッテオと同じ角ばった黄褐色の眼であった。それからウォーレス家の精霊で、噴水状の帽子に流水状の髪のフォントもマッテオを出迎える。

「お帰りなさい、ご主人様」

 マッテオの仕事を支えてくれる娘夫婦、共働きの親に代わって家事を切り盛りする家政婦、可愛い孫娘二人に内気過ぎるけど忠義な精霊。これがマッテオの持っている〈日常〉で〈幸福〉だった。


 ベルンとフォントも入れて食堂で夕飯を済ませた後は一人ずつ入浴や宿題の次に予習復習を姉妹はやって、マナピースを使った映像板(ビジョナー)で観る俳優劇や報道を視聴する。エルザミーナの世界でいうテレビ番組だが、現実の世界の物と違って電波やケーブルは使わず、記録や拡散などのマナピースを使って多くの世帯に広げているのだ。

 他にも遠くにいる人と会話する時は無線ではなく細長い箱状の道具に共鳴と通信のマナピースを使って会話をしたり、小さな額縁と計算機のようなボタンが付いた盤を合わせた箱で現実世界の電子ゲームといった娯楽品もある。エルザミーナは現実世界とは似ていながらも違う文化文明の発展を遂げてきた世界なのだ。

 マッテオは入浴を済ませて一階の奥にある自室に入って休んだ。マッテオの部屋は大人七人が横で寝られる程の広さで、タンスと天蓋付きベッドと物書き机と背もたれ付きの回転椅子と本棚、天井には鋼鉄製に金色に塗られたシャンデリアがつり下がり、壁には白い壁紙と暗い茶色の板の二色になっており、じゅうたんは薄茶色という渋いながらも落ち着いた部屋であった。

 マッテオはバスローブから上下がゆったりした灰色の寝間着を着て、絹地を使ったカバーの枕と布団の中に入って横になる。照明のマナピースははめ込み先の壁から外して、一瞬で暗くなる。

 マッテオは次第に眠りの中に入っていく。ところで、眠りのマナピース〈スリーピング〉は夜眠れない人間や昼寝で休みたい人のためのマナピースで、マナピースを操る本型の装置スターターを使うことで発揮されるが、元から寝つきのいいマッテオには不要だった。


 時を遡ること五十五年前。マッテオ=ウォーレスはレザーリンド王国とは違う国の生まれだった。ウォルカン大陸の西に位置し、レザーリンド王国の西隣のアミーニャ共和国の人間だった。

アミーニャ共和国では王制は五年前になくなり、国民投票に選ばれたお役人が大統領になって国の頂点に立ち、また他の人の意見も聞き入れて政治を動かしていた。

 アミーニャ共和国は古くからオリエスナ大陸の東部国との交流があり、主に貿易業が盛んだった。マッテオは家具職人の息子として生まれ、将来は自分の会社を出す夢を持っていた。マッテオは商業学校に通いながら父の家具職の手伝いをし、二人の兄もそれぞれタンス職と椅子テーブル職を持ち、歳の近い姉も事務職と経理と他の店での雑務に出ており、母は家事担当と分かれていた。

 この時代のアミーニャ共和国は旧王家と新王家の後継者争いが絶えず、最後の王が新旧王家の愚かな争いを防ぐために王制を廃止して共和制にしたのが始まりであった。旧王家と新王家はアミーニャ各地の貴族となり、旧王家の末裔である王の遺言によって、王族とは無縁のお役人が大統領となったのがアミーニャの共和制化の始まりだった。

 マッテオが生まれる前から旧王家はともかく新王家の人々が野心家ばかりで、国民よりも自身たちの利益を得ることを求めていた。

 アミーニャ共和国の西部の大都市で副都コレージャは波止場には商船や客船が入れ替わり、沖では漁船が大網で魚を獲り湾岸地帯の町は白や薄茶色や黄色の石造りの建物が積み木のように並び、コレージャの住人は風通しの良いゆるめの上衣や外着をまとい、中にはオリエスナ大陸の柄入り民族衣装をウォルカン大陸風に仕立て直してボタンなどの留め具を使った服もあった。

 住人は主に中間肌か浅黒い肌が多く、オリエスナ大陸の混血の中には小麦色の肌もいた。ウォルカン大陸の西は世界全体の南西辺りに位置するため、温暖や乾燥の気候地域が多かった。

 しかしアミーニャの共和制化に不満を持っていた新王家が密かに王制の復興と王になるために、ならず者や受刑者を雇って部下にして穏健派の旧王家を襲撃して拘束。国民やその時の大統領に王政復古と自身の王位継承の認知を求めたのだった。

 アミーニャの国民も近隣国のお偉いさんも、旧王家を襲ったのが新王家の当主、イヤーフ=バラドスは私欲が強くて粗暴な人物なのは知っていた。もしイヤーフ=バルドスがアミーニャの国王になれば独裁政権を実行し、他国の植民地化を求めて戦争をふっかけてくるのは目に見えていた。まだ十六歳のマッテオも自分の夢である会社経営も出来なくなると悟ったのだった。

 だからアミーニャの国民は祈った。バルドスを止めてくれる救済者が現れるのを。その祈りが天に届いたのか、天から四つの光がアミーニャに降り注ぎ、うち一つが遥か彼方に飛んでいったのをアミーニャの国民は目にしたのだった。

 その後でアミーニャの大統領はバルドスに王位を与えて王政復古を戻す先月

をした。この時の大統領、ルドビコ=ザーシャは国民から恨まれる覚悟を持って、この公表したのだった。バルドスが王になると税の跳ね上がりや犯罪の過剰厳罰、法律違反者への強制労働といった政治が実行され、マッテオも学校に行けなくなってしまった。

 そんな中、一人の異世界からの救済者の少女がはぐれ精霊と組んで国民を苦しめるバルドスの兵と戦って退けさせたのだった。

 まだ十五歳だった菅生利恵子(すがう・りえこ)と精霊だったデコリであった。マッテオは重税化による貧困で巡回兵から弁当のパンとリンゴを盗んだ幼い男の子が終われて傷つけられそうになったところで、利恵子がデコリと合体して巡回兵をやってのけたのを偶然とはいえ目撃したのだった。

 利恵子は自分の世界で住まいにいる時に天からの金色の光が飛んできて、その眩しさで一瞬まぶたを閉ざすと、ピンク色の本型の道具スターターと白地に虹色のマナピースが目の前にあって、更に学校にいる時にエルザミーナの世界に飛ばされたという。

 デコリははぐれ精霊であったが利恵子と出会ってパートナー同士となった。マッテオは自分が持っているマナピースを利恵子に譲渡して、利恵子はマッテオのマナピースのおかげで救済者の証である〈フュージョナル〉のマナピースを持つ3人の仲間を探し出し、悪徳王バルドスを退けることに成功したのだった。

 バルドスとその一味は国外れの地域に送られ、アミーニャ国は共和制に戻り平和が訪れた。

 利恵子は自分のサポートをしてくれたマッテオと親しくなり、マッテオは利恵子が出身世界では幼い時に両親をたて続けに事故で亡くしており、親戚もいなかったため孤児院で生活していた。

「だったらエルザミーナの世界で暮らせばいい。身寄りがないのなら」

 マッテオはこう言って利恵子を引き留めようとした。利恵子はマッテオの誘いを聞き入れるが、出来なかった。マッテオのことは好きだし、現実世界では孤児だからという理由で中学校の親も家もある同級生から虐めを受けていた。

 異世界人がエルザミーナの災厄を打ち払った後は現実世界に戻るという掟があるため、利恵子は仲間と精霊の念を込めた力で現実世界に帰ることになった。

 マッテオは五十五年経っても、利恵子に告げた別れの言葉を覚えていた。

「利恵子! ぼくは、ぼくは……ずっと君のことを忘れないよ! ぼくや君が他の人と結婚しても……!!」

 利恵子は金の光の柱に包まれながらほほ笑んでいったのも記憶の中に刻まれていた。

 アミーニャ国が平和になったことでマッテオは再び商業学校に通えることが出来て、その後はコレージャ市内の金融会社に就職が決まって働きながら会社設立の資金を蓄えていったのだった。

 マッテオが二十五歳の時に取引先の貿易会社の重役の娘とお見合いして結婚した。その女性がマッテオの妻となったルクレツィアである。

 そしてマッテオが三十二歳の時に彼の夢が叶う。レザーリンド王国に移住し、念願のインテリア会社を開いた。

 マッテオの商品は実家の家具工房から仕入れた物ばかりで、丈夫で長持ちするのがメリットだった。貴族などの富裕層よりも一般家庭の人々に評判があったため事業に成功した。数年後には実家の家具と同じ製品が造れる工場も設立させ、マッテオは本社をレザーリンド王国の南の副都市からオスカードに移して今に至る。

 精霊のフォントはオスカードに引っ越しした時に出会った精霊であった。一人娘も孫娘も生まれて、マッテオは菅生利恵子との結婚に破れたが事業や家庭には恵まれたのだった。

 一柳稜加がレザーリンド王国の救済者になって、祖母から継いだ精霊デコリや他の救済者と共にマッテオの元を訪れた時、マッテオは片想いの相手である利恵子は亡くなっていたが、稜加が利恵子の孫だと知った時マッテオは利恵子は現実世界で夫と子孫に恵まれたことを知ったのだった。

(今思うと、わしが利恵子と結婚することが出来たら、稜加もウルスラもパシフィシェルもポーシアも生まれてくることはなかったんだなぁ。利恵子は自分の世界に戻った後は他の男の妻になって、子を産み育てて孫も授かったんだよな。だけど、どうせならあと二十年は生きてほしかった。そしたら稜加を通じてわしの現在を利恵子に伝えることが出来たのに)

 マッテオは寝床の中でなかった未来を想像した。人間は遅かれ早かれいずれ亡くなる。マッテオもいつか終わりの時を迎え、先に旅立った利恵子と過ごせると悟った。

(だけど)

 マッテオは付け加えた。まだ孫娘二人は成人を迎えていないし、娘婿もまだ舅である自分の助けが必要だろうし、娘も後継ぎとして相応しくしないと考え直した。

(利恵子、わしはまだ生きることにするよ。家族がわしがいなくても大丈夫なようにさせておかないといけないからな)