3弾・7話 赤杉林の主


 稜加一行とは別の方角、王都のあるヴィータ州から東隣になるチェチア州ヘ向かう一機の中型飛行艇、王室専用のシラム号が森や草原や川を越えて向かっていった。

 そのシラム号の中の操縦席の後ろの座席にいるジーナ=ベックとベック家の精霊ウッダルトが革のリュックサックに必要な食糧と道具の点検をしていた。食べ物は長持ちして割れにくいブリキやスチールの缶詰、他にも新しい麻のロープや救急キットや丈夫な水筒、木を切るナイフやらが王室から支給された。ジーナは十七歳にしては長い背丈で赤い髪をポニーテールにして菫の瞳を持ち、服は厚手の深緑色のつなぎに革の編み上げブーツで作業用として甲部分にケガしない加工が施されていた。

「王室から呼び出された時、またおっかない敵が出てきたのかと思ったよ」

 ベック家の精霊ウッダルトは緑の木の葉状の髪に樹皮のような茶色の衣に紺色の眼の三等身の男の子精霊であった。

「そうではなかったけれど。あの時は驚いたよ……」

 ジーナは二日前の昼の出来事を思い出す。ジーナはチェチア州の北西にある森の近くにあるカンテネレ村の中にあり、父を早くに亡くしたジーナが樵となって稼ぎ頭となり、四人の弟妹は学校に通いながら母の手伝いや他所へ働きへ行く母に代わって掃除や洗濯などの家事を行(おこな)っていた。ジーナも数年前に学区を卒業すると、父から林業を学んで今に至るのだった。

 ジーナが森の木を一本伐採して昼食の弁当をウッダルトと一緒に食べていると、白い鎧をまとった王家の兵士が彼女の前に現れたのでジーナもウッダルトも目を丸くしたのだった。何でも王兵の話によれば、レザーリンド王国を乗っ取ったガラシャ女王を退けた後、救済者としての役目を終えた稜加がまたレザーリンド王国のあるエルザミーナにやってきたという。

 それから飛行艇にあった通信機で女王となったイルゼーラから話を聞くと、稜加と同じ世界の友人が稜加についてきてはぐれてしまい、マダム=ドラーナの占いの結果、その友人はキレール州の〈霊界の口〉にいて〈霊界の口〉に入るには聖水の材料の一つであるチェチア州北東にある赤杉林のキマユソウを一株採取して、他の二つの材料を合わせて〈悪霊払いの聖水〉を作ることでキマユソウ生息地と同じ地域の住人であるジーナとウッダルトの力が必要だということであった。

「キマユソウって、レザーリンドの東部にしか咲かない花なんだろう?」

 ウッダルトがジーナに訊いてくるとジーナは自分が得たキノコや薬草の知識を遡らせる。

「うん……。それも消臭効果があるから、聖水だけでなく服や靴の匂い消し、掃除用の洗剤に生ゴミの悪臭下降、はたまた死体の防腐剤として利用されているからね」

 ジーナのキノコや薬草に関する知識は父や他の樵からの賜物であった。ケガをしたり毒虫に刺されたら之応急処置として。

「あっ、見えてきましたよ。赤杉林が」

 ジーナとウッダルトを運んでくれた兵士が二人に伝える。窓の景色を見てみると、緑の濃淡の異なる木々の中に家五〇〇軒分と同じ位の敷地に赤い房状の葉の木々が密集していた。あれがキマユソウのある赤杉林である。

 赤杉林は他の杉と違って葉がもともと赤く、秋に成るとこげ茶色になるのが特徴である。それからスギ花粉も他の杉の二倍の量で花粉症や花粉アレルギー持ちには天敵である。

 ジーナとウッダルトを乗せたシラム号は赤杉林の近くの伐採地に着陸し、ジーナとウッダルトはシラム号を出て赤杉林の中へ入っていった。

「呆れたよ。ジーナとおいらを連れてきた王兵さん、花粉症持ちだってよ。だったら他の王兵に頼めばよかったのに」

 ウッダルトが呟くとジーナがなだめる。

「まぁまぁ、あの王兵さんが暇あったんだから仕方ないって。それにシラム号の留守番役になってくれたからいいでしょ」

「しゃあねぇなぁ……。にしてもキマユソウが王都の近くならチェチア州の赤杉林の中にあるっていうけれど……」

 ウッダルトが辺りを見ましてみる。赤杉林の中は乾いた地表の上に杉の葉がいくつも落ちており、魚の鱗のような樹皮にはキツツが突いた痕、山に棲む鹿やカモシカや猪が食べた痕、上の方には木の枝に鳥の巣があって親鳥が雛に餌のミミズを与えていた。杉の葉はチクチクするので天敵となるトビやカラスが来ないのだ。

「キマユソウって消臭効果があるから、匂いがなかったんだった。ここは赤杉たちに訊いてみよう」

 ウッダルトがそう言うと、ウッダルトは樹の精霊特有の植物交信術を使って赤杉にキマユソウは何処にあるか尋ねる。

「キマユソウは何処にあるか知っているか?」

『キマユソウ? ああ、今いる場所の東へ四五〇歩先に咲いているよ。どうしてキマユソウが欲しいんだい?』

 ウッダルトが聞いている赤杉の声は中老男性のような太い声で、ウッダルトはキマユソウを求めている理由を教えた。

『わかった。〈霊界の口〉に迷い込んだ人間を助ける為ならキマユソウも納得するだろう。だけど気をつけて採るんだよ』

「ありがとう。赤杉さんよ」

 ウッダルトが赤杉都の交信を終えるとジーナにキマユソウの在りかを教えてくる。

「キマユソウは今いる場所の東四五〇先だ。赤杉がそう言っていた」

「わかった」


 ジーナとウッダルトは赤杉が教えてくれた東へ先に進んでいった。赤杉林の向こう側が明るくなったと思ったら、そこは斜面で谷になっていた。キマユソウは斜面担っている地面に咲いているが斜面は五〇度ほどあり、しかもキマユソウの周囲には茨が生えていて浮いている精霊が採りに行ったら、傷だらけになりそうだった。

「ようやく着いたと思ったら……」

 ジーナはキマユソウの場所を見て呟いた。キマユソウは細長い茎と葉、茎の先には黄色い繭玉のような穂が不規則についているので〈キマユソウ〉と名付けられていた。

「そうだ、マナピースを使って採取しよう。炎は樹に強いからいけないし、水のマナピースだと冷気関連でしおれるし、超属性のマナピースはレア度星二つでも今のあたしの収入じゃあ手に入らないし……」

 ジーナは考え込んでしまう。ようやくここまで来られたというのに、採取方法まで企てていなかったのだ。

「ねぇ、あんたたち何やっているんだい?」

 ジーナとウッダルトが自分たち以外に誰かいたことに気付いたので後ろを見まわすと、一体の精霊がそこにいたのだ。

 髪の毛は茨状でつり上がった赤い眼に茨の服を着たウッダルトと同じ樹属性の女の子精霊であった。

「き、君は誰だい!?」

 ウッダルトがその精霊に訊ねると、茨の精霊はこう返事をする。

「あたいはこの森に棲んでいるスパイカよ。人間と守護精霊が何でこんな所にいるのよ?」

 スパイカに訊かれてジーナとウッダルトはキマユソウを採りに来た理由と採りたいけれど採れたくても採れない理由を語り出した。

「そうだったのね。あたいならこの茨を退かせられる。だけどね……」

 スパイカはジーナとウッダルトに条件を出してくる。

「赤杉林の主を退治してくれたら、茨を退かせてあげるわ。赤杉林の主はキマユソウをむやみにかじってくるから、こうやっているのよ」


 スパイカの条件を受けてジーナとウッダルトは赤杉林に引き返した。

「そりゃあただで手に入らないのはわかっていたけれど……、林の主退治かぁ」

 ウッダルトがため息を吐いて呟く。

「仕方ないでしょ。林の主がキマユソウをむやみにかじってきて、スパイカがキマユソウの減少を防ぐ為にああしていたんだから」

 ジーナがそう言うとウッダルトは苦い顔をする。

「林の主ってのがなぁ……」

 二人が話し合っていると、二十頭ほどの鹿の群れが現れて、一番大きい鹿は左眼に大きな傷を走らせた牡鹿であった。赤杉林に棲む黒鹿は牡の角は樫の枝のように広く、牝は牡より一回り小さく角も笹のように細かった。

「ははぁ、あの大きくて傷のある鹿が赤杉林の主って訳ね。こっちはマナピースはレア度低めだけれど、戦うことは出来る」

 そう言ってジーナは深緑色の地に茶色の縁取りのスターターを出して、スターターを開いて六マスあるくぼみにマナピースを入れて、実体化を発動させる。するとスターターから鎖とジーナの手首と同じ大きさのハンマーが出てきて、それらは一つにつながっていた。

 ジーナの準備が整うと赤杉林の主はジーナに角を向けて突進してきた。主の鹿もかなりの大型なのか駆ける度に地面が揺れて、ウッダルトは突進してくる鹿を見てうろたえるも、ジーナは樵としても勘なのか主の鹿が近づいてくると鎖を軽く振り回して主の鹿の左前脚を絡ませて、林業で鍛えた剛腕で主の鹿を捕らえて鎖を引っ張り、主鹿は横転して土煙が舞う。

 それからジーナは鎖につないだハンマーで主鹿の頭を軽く叩いて気絶させた。それを見ていた黒鹿の群れは主が倒されたのを目にして後ろに下がっていく。

「どうだ、まいったか。ジーナの剛腕には主は敵わなかったな」

 ウッダルトが主鹿が人間に倒されたのを見てせせら笑うと、ジーナが背中のリュックサックを下ろして薬草入りの小筒を取り出した。

「何するんだよ?」

 ウッダルトはジーナが薬草を取り出したのを見て不思議がるも、ジーナは主鹿の口を開けて粉薬を飲ませた。すると主鹿が目を開けてゆっくりと起き上がった。

「ジーナ、逃げよう! 仕返しされるぞ!」

 ウッダルトが起き上がった主鹿を見てジーナに促すも、ジーナはこう述べてくる。

「主鹿がキマユソウを無暗にかじりまくっていたのは、餌としている樹皮や草の食べ過ぎで胃薬としてキマユソウをかじりまくっていたんだよ。キマユソウに胃腸薬の効き目はあるかどうかわからないけど……、あたしが持ってきた薬草の方が効くと思って」

「あっ、そうだったんだ……」

 ジーナの解説を聞いてウッダルトは納得する。すると主鹿はすっかり様子が良くなったのか頭を下げて、他の鹿を率いて去っていった。


 それからジーナとウッダルトはスパイカに主鹿をなだめて退かせたことを伝えると、スパイカには安堵してキマユソウの周りに生やしていた茨を解いてくれた。茨は引っ込んでいき、ウッダルトはキマユソウを採りに行けたのだった。

「主鹿を大人しくさせてくれてありがとう。主鹿がキマユソウをかじっていたのは胃が痛かったからなのね……」

「ああ。あたしの薬草で治したのはいいけど……。じゃあ、あたしたちはもう行くね!」

 ジーナとウッダルトはスパイカにそう告げると、ウッダルトはスパイカにさよならを言う。

「さようなら! もし良かったら人間と一緒に住むことを勧めるよ!」

 ジーナとウッダルを見送ったスパイカは、この二人の目的が果たせられるようにと祈ったのだった。


 シラム号に戻り、キマユソウを空き瓶に入れて土も盛って枯れないように工夫すると、ジーナとウッダルトじゃシラム号の通信機でキマユソウを手に入れたことをイルゼーラに伝える。

『主の鹿がキマユソウをかじって減っていたから、森の精霊がそんなことを……。でも、主の鹿を止められたのね』

「はい。ところで後のメンツは?」

『ええ、稜加たちはビアンカアランの湧水を手に入れて、エドマンドとラッションはインブリア州のミムス岩塩鉱にいるわ』

「わかりました。集合場所は?」

『そうね。キレール州の〈霊界の口〉に近いイニャッツォの町の宿屋、〈赤熊停(あかぐまてい)〉で落ち合いましょう』

「わかりました。イニャッツォの町の〈赤熊停〉ですね。了解しました」

 ここで通信が切れて、ジーナはシラム号の番をしていた王兵に声をかけてくる。

「イニャッツォの町の〈赤熊停〉へ行ってくれない? そこが集合場所なの!」

「はい、イニャッツォの町ですか……。イルゼーラ陛下がおっしゃっているのなら」

 花粉症持ちの王兵はジーナに言われて、カンネテレ州の赤杉林からキレール州のイニャッツォの町へシラム号を飛ばしたのだった。